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4代目三遊亭 金馬(さんゆうてい きんば、1929年(昭和4年)3月19日 - )は、東京都江東区出身の落語家。一般社団法人落語協会顧問。日本演芸家連合会長。日本芸能実演家団体協議会顧問。新宿区名誉区民。本名、松本 龍典(まつもと りゅうすけ)。出囃子は先代と同じ『本調子鞨鼓』である。 柳家小袁治による「当代金馬は、自分の大師匠を知っている大ベテラン」との発言からも窺える通り、2016年現在、東西併せて落語界最古参の落語家であり、現在、唯一の戦中派落語家である。ただし、年齢と真打昇進年を基準に置けば4代目桂米丸が最長老である。 プラモデルファンで、テレビ放送初期にプラモデルの番組をもっていた。また小金馬時代にはコキンホースという競走馬の馬主でもあった。 == 来歴・人物 == 子供の頃に兵隊にあこがれ予科練を夢見たが柳家金語楼のSPレコードを聴いたことで落語に興味を持つようになる〔。家族や近所の人に落語を披露しては爆笑をとっていた。 1941年7月、小学校卒業の12歳で寄席の支配人の伝手で3代目三遊亭金馬に入門〔死ぬなら前座より二ツ目…落語家 三遊亭金馬さん 86 YOMIURI ONLINE 2015年08月17日閲覧〕。少年落語家・山遊亭金時として初高座を踏む。1945年終戦直後の8月18日に、二つ目昇進〔。三遊亭小金馬と改名。 1953年、日本テレビ開局記念番組放送中、放送事故が発生。急遽、小金馬(現:4代目金馬)、2代目三遊亭歌奴(現:3代目三遊亭圓歌)、一龍齋貞鳳、3代目江戸家猫八の4人で即興のインチキプロレス(プロレスコント)を放送する。開局祝賀会場は爆笑の渦に包まれ、これを見た同局社長・正力松太郎の指示により、直ちに彼らをメインとしたレギュラー番組が作られた。いわば金馬は、元祖テレビバラエティータレントである。1955年、歌奴を除く3人をメインにNHKに引き抜かれる形で『お笑い三人組』がスタート。国民的番組となる。このため、これらを知っている世代には未だに前名の「小金馬」の名が通用する場合がある。 1958年3月、真打昇進。1967年3月、3代目の3回忌に4代目三遊亭金馬を襲名。同年、落語協会常任理事、日本演芸家連合理事に就任する。 1969年11月9日から1970年6月14日まで『笑点』の大喜利メンバーを務める。加入時の年齢が41歳であり、2006年に春風亭昇太(当時46歳)が加入するまでは新加入最高齢者であった。 国立演芸場開設に尽力した功労者であり、1970年には芸術祭優秀賞を受賞し、警視総監表彰を受けた。3代目古今亭志ん朝没後、志ん朝の手掛けていた夏の「住吉踊り」を承継。毎年8月、浅草演芸ホールの中席で披露していた(膝を痛めたことと、高齢のために現在は披露していない)。 『お笑い三人組』で共演した桜京美の病死が判明した1989年1月6日には、「もっと会って話をしておけばよかった」というコメントを寄せて桜を偲んだ。 近年は膝を悪くし、釈台を置いて落語を演じている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「三遊亭金馬 (4代目)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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